電子メールがまだ当たり前ではなかったころ、一通の文章が遠くへ届くというだけで、人は未来を感じた。封筒も切手もなく、郵便受けを待つ必要もない。電話のように相手の時間へ突然入り込むこともない。書き、送り、相手が開き、返事が来る。いまでは何でもないこの流れが、かつては魔法のように見えた。画面の中に自分の受信箱があり、そこへ誰かの言葉が届く。その瞬間、コンピューターは冷たい機械ではなく、遠くの人とつながる窓になった。
電子メールの初期体験を理解するには、当時の通信の身体感覚を思い出す必要がある。手紙は時間がかかった。国際郵便なら、なおさらである。電話は速いが、相手をその場に呼び出す。時差があれば遠慮もある。ファックスは便利だったが、紙と機械の感覚が強く、個人的な文章より業務連絡に向いていた。その中で電子メールは、手紙のように書けて、電話より静かで、ファックスより柔らかく、国境を越える速度を持っていた。
日本の初期ウェブにおいて、電子メールは単なる通信手段ではなかった。会社の仕事の進め方を変え、海外との距離を縮め、名刺に新しい一行を加え、ホームページと結びつき、個人の声を遠くへ運んだ。掲示板が広場なら、電子メールは手紙だった。公開の場ではなく、特定の相手へ向けて書く。その「宛てる」という感覚が、電子メールを人間的なものにしていた。
電子メールは、速く届くことだけが新しかったのではありません。相手の時間を尊重しながら届くことが、新しかったのです。
一、手紙と電話のあいだ
手紙には時間がある。便箋を選び、文章を整え、封筒に入れ、宛名を書き、切手を貼り、投函する。相手に届くまで、物理的な距離がある。届いた手紙は、相手の手に触れ、机に置かれ、引き出しにしまわれる。手紙は、文章であると同時に物であり、時間の器でもある。
電話には即時性がある。声が届く。相手の反応がその場で返ってくる。声の調子、間、笑い、沈黙まで伝わる。しかし電話は、相手の時間へ直接入っていく。相手が忙しいかもしれない。眠っているかもしれない。考えてから返す余裕がないかもしれない。電話は近い。近すぎることもある。
電子メールは、そのあいだに生まれた。手紙のように書ける。電話より速く届く。相手をその場で呼び出さず、相手の都合で読んでもらえる。文章は残る。返信も残る。引用もできる。転送もできる。仕事にも、友情にも、家族にも、国際連絡にも向いていた。
この中間性こそ、電子メールの魔法だった。速いのに静か。軽いのに残る。遠いのに近い。機械的なのに、人間的。電子メールは、手紙と電話のあいだに新しい距離を作った。その距離は、現代の即時通知の世界では薄れがちだが、初期の利用者にとってはとても大切な余白だった。
二、受信箱という新しい郵便受け
電子メールが生んだ大きな感覚の一つは、画面の中に郵便受けがあるということだった。家の外にある郵便受けとは違う。会社の机に積まれる封筒とも違う。コンピューターの中に、自分宛ての言葉が届く場所がある。そこを開くと、遠くの人から文章が届いている。この体験は、当時としては非常に新しかった。
受信箱には、個人的な響きがある。誰かが自分に向けて送ったものが入っている。広告や事務連絡もあるかもしれないが、それでも宛先は自分である。電子メールの受信箱も同じだった。公開の掲示板とは違い、そこには宛先があった。自分に届く。自分が読む。自分が返す。この私的な流れが、電子メールを特別なものにした。
初期の受信箱を開くとき、人は少し期待した。新しいメールは来ているだろうか。海外の取引先から返事が来ただろうか。友人から近況が来ただろうか。昨日送った提案に反応があっただろうか。受信箱を開く行為には、郵便受けをのぞくような胸騒ぎがあった。
現代では、受信箱は負担の象徴になりがちである。宣伝、通知、確認、催促、仕事の山。だが、初期の受信箱には、まだ発見の感覚があった。メールが来ているというだけでうれしい。自分の文章が届いたというだけで驚く。相手から返事が来たというだけで、世界が少し近くなる。電子メールは、日常化する前に、確かに魔法だった。
三、件名という小さな玄関
電子メールには件名がある。短い一行で、本文の入口を作る。これは小さなことのようで、とても重要だった。手紙の封筒には宛名や差出人があり、電話は出てみなければ内容がわからない。電子メールの件名は、受信箱の中に並ぶ小さな玄関だった。
よい件名は、相手を助ける。何についての連絡なのか。急ぐのか。返事が必要なのか。資料なのか。挨拶なのか。仕事の調整なのか。件名は、相手の時間を尊重するための小さな配慮である。受信箱の中で、読む順番を判断する手がかりになる。
初期の電子メールでは、この作法もまだ手探りだった。件名をどのくらい具体的に書くべきか。挨拶はどこまで必要か。本文は長くてよいのか。引用はどのようにするのか。署名は入れるべきか。電子メールは新しい道具であり、その中で新しい礼儀が少しずつ作られていった。
件名は、電子メールが単なる技術ではなく文章文化であることを示している。相手が本文を開く前に、相手の時間を想像する。これはとても人間的な行為である。電子メールが魔法のように感じられたのは、速度だけでなく、こうした新しい文章の礼儀が生まれていたからでもある。
件名は、受信箱の中に置かれた小さな看板でした。
四、署名は画面の中の名刺だった
電子メールの末尾には、署名が置かれるようになった。名前、会社名、役職、電話番号、住所、電子メールアドレス、ウェブの住所。署名は、画面上の名刺だった。日本の名刺文化と電子メール文化は、ここで自然に接続した。
署名には、信頼を示す役割がある。誰から来たメールなのか。どこの人なのか。どう連絡すればよいのか。紙の名刺のように手渡すことはできないが、文章の末尾に名刺の役割を持たせる。電子メールは新しい媒体でありながら、既存のビジネス文化を完全に捨てたわけではなかった。むしろ、名刺文化を画面へ移した。
署名はまた、ウェブへの入口にもなった。メールの末尾に置かれたウェブの住所を押す、または入力する。そこから会社案内や資料へ進む。電子メールとホームページは、早い段階から結びついていた。メールが人を呼び、ホームページが詳しい情報を置く。メールは手紙であり、ホームページは訪問先だった。
この関係は、ドメイン名の価値も高めた。電子メールアドレスには、ドメイン名が含まれる。どの名前から届いたのか。会社の名前か、個人の名前か、サービスの名前か。メールアドレスは、単なる宛先ではなく、信頼の手がかりになった。よいドメイン名は、ウェブだけでなく、メールにも力を与えた。
五、国境を越える日常
電子メールは、国際的な距離を大きく縮めた。海外へ電話をかけるには、費用や時差や緊張があった。手紙は時間がかかった。ファックスは便利でも、紙と機械に左右された。電子メールは、国境を越える連絡を日常の中へ引き寄せた。
日本にいる人が、海外の相手へ文章を送る。海外にいる人が、日本の会社へ問い合わせる。外国人が日本で仕事をし、母国の家族や取引先と連絡する。新聞社、企業、大学、起業家、旅行者、研究者。電子メールは、それまで特別だった国際通信を、机の上の作業へ変えた。
この変化は、単に速さの問題ではない。電子メールは、国際的な仕事の心理的な距離も縮めた。電話なら構えてしまう相手にも、メールなら文章を整えて送れる。時差があっても、相手が都合のよい時間に読める。英語が完璧でなくても、時間をかけて書ける。返事も保存できる。国際的なやり取りの敷居が、少し下がった。
日本の初期ウェブにおいて、電子メールは世界への小さな窓だった。海外から日本を読む人、日本から海外へ提案する人、国際的な企業活動をする人、英語と日本語の間を行き来する人。彼らにとって、電子メールは単なる便利な連絡手段ではなく、仕事と生活の可能性を広げる道具だった。
六、時差の向こうへ届く文章
国際的な電子メールには、時差という独特のリズムがあった。こちらが夜に送ると、相手の朝に読まれる。相手が夕方に返すと、こちらの翌朝に届く。すぐに届く技術でありながら、返事には地球の回転が入り込む。この時間のずれが、電子メールに不思議な詩情を与えていた。
電話では、時差は障害になりやすい。相手が寝ているかもしれない。仕事中かもしれない。家族といるかもしれない。電子メールでは、時差はむしろ余白になる。相手は都合のよい時間に読む。こちらも都合のよい時間に書く。会話は同時ではないが、確かにつながっている。
この非同期性が、電子メールの大きな魅力だった。届くが、急がせない。送れるが、割り込まない。速いが、相手の時間を残す。現代の即時通知の世界では、この美点が忘れられがちである。届いたらすぐ見るべき、すぐ返すべき、既読なら反応すべきという圧力が強くなると、電子メール本来の静けさは失われる。
初期の電子メールは、相手の時間を尊重する通信だった。これこそ、いまもう一度思い出すべき価値である。
届くことと、急がせることは違います。電子メールは、その違いを知っていました。
七、仕事の速度と記録を変えた
電子メールは、仕事の進め方を大きく変えた。資料を送る。確認を取る。会議の日程を調整する。海外の相手に提案する。社内で意見を集める。電話では残りにくい内容が文章として残り、郵便では遅すぎるやり取りが短時間で進む。電子メールは、仕事の記録性と速度を同時に高めた。
初期の企業にとって、電子メールは単なる通信費の節約ではなかった。組織の動き方を変える可能性を持っていた。担当者同士が直接やり取りできる。海外との連絡が容易になる。資料の確認が早くなる。決定までの時間が短くなる。紙の回覧やファックスだけに頼らない流れが生まれる。
しかし、導入には抵抗もあった。誰が使うのか。どの端末で読むのか。正式な文書として扱えるのか。印刷しなければ不安ではないか。安全性はどうなるのか。日本の会社文化では、紙の書類、印鑑、対面説明、電話確認が強い意味を持っていた。電子メールは、その文化に新しい速度を持ち込んだ。
電子メールの普及には、技術だけでなく説明が必要だった。なぜ便利なのか。どう使うのか。どのような礼儀が必要なのか。どの内容はメールでよく、どの内容は対面がよいのか。電子メールは、仕事を速くするだけでなく、仕事の言葉遣いを変えた。
八、日本語で送るという課題
日本語で電子メールを使うことには、独特の課題があった。文字化け、文字コード、機種依存文字、半角カタカナ、改行、句読点、署名の表記。いまではあまり意識されないことも、初期には重要だった。日本語を正しく相手へ届けること自体が、一つの技術だった。
文章が届いても、文字が化けて読めなければ意味がない。日本語の電子メールは、技術と文化の接点にあった。日本語の繊細な表現、敬語、会社名、名前、地名。それらを正しく送るには、環境の整備が必要だった。
また、日本語のビジネスメールには、手紙文化の影響もあった。宛名、挨拶、敬語、結び、署名。電子メールは新しい媒体だったが、日本語で使われると、既存の手紙や社内文書の礼儀を受け継いだ。これにより、日本の電子メール文化は、単に海外の形式を輸入したものではなく、日本語の仕事文化に合わせて変化していった。
日本語で安心して書けること。日本語の名前が正しく届くこと。日本語の微妙な敬意が表現できること。これがなければ、電子メールは本当に日常の道具にはならなかった。
九、引用と返信の作法
電子メールには、引用して返信する文化がある。相手の文章の一部を残し、その下や上に自分の返事を書く。何に対する返事なのかがわかる。過去のやり取りをたどれる。複数人の議論でも、文脈を保ちやすい。引用は、電子メールが対話の媒体であることを示している。
引用には作法が必要だった。必要な部分だけ残す。相手の言葉を切り取りすぎない。どこまでが相手の文で、どこからが自分の文かを明確にする。長すぎる引用を避ける。こうした作法は、文章だけのやり取りを成り立たせるために大切だった。
返信の積み重なりは、仕事の記録にもなった。いつ誰が何を言ったか。どの資料が送られたか。どの確認が済んだか。電子メールのやり取りは、小さな議事録のような役割を果たした。会議室で消えていた言葉が、画面上に残るようになったのである。
しかし、残るということは責任も生む。感情的な文章、曖昧な約束、誤送信、未確認の情報。送った言葉は残る。電子メールは軽いようで、実は重い。送信は一瞬でも、文章は長く残る。
十、掲示板とメールの距離
初期のオンライン文化には、掲示板と電子メールが並んでいた。掲示板は広場であり、電子メールは手紙だった。掲示板では、多くの人が読む場所に書く。電子メールでは、特定の相手に宛てて書く。この違いが、初期ウェブの交流に深みを与えた。
ホームページを見て、管理人へ感想を送る。掲示板で知り合った人に、個別にメールを書く。公開の場所では書きにくい相談をメールで伝える。電子メールは、公開されたウェブから私的な会話へ移る橋だった。
掲示板は、会話を共有の記録にする。電子メールは、関係を個別に深める。どちらも人間の言葉を運ぶ道具だが、役割が違う。初期の利用者は、この違いを感覚的に使い分けていた。
現代の交流空間では、公開と私的な会話の境界が曖昧になることがある。掲示板とメールの時代は、その違いを比較的はっきり意識していた。広場に書くこと、手紙で送ること。その違いを思い出すことは、オンラインの礼儀にとって今も重要である。
掲示板は広場でした。電子メールは、そこから一人の相手へ渡す手紙でした。
十一、恋とメール
電子メールは、仕事だけの道具ではなかった。人と人の距離を変えた以上、そこには恋も生まれた。遠くにいる相手へ文章を書く。返事を待つ。画面の前で言葉を直す。送信するかどうか迷う。届いたメールを何度も読み返す。手紙の時代にもあった感情が、画面の中に移った。
メールの恋には、独特の速度があった。手紙より速い。電話より考えられる。対面より少し大胆になれる。文章だから、言えないことも書ける。けれど文章だから、誤解も生まれる。返事が来ない時間が長く感じられる。短い一文に何度も意味を探す。
初期の電子メールには、まだ特別感があった。誰もが使っているものではないからこそ、メールを交換する関係には小さな秘密めいた感覚があった。自分たちだけの通信路。画面の中に届く言葉。保存した受信箱は、現代の手紙箱のようなものだった。
恋における電子メールの力は、相手の時間に寄り添えることだった。夜に書いて、朝に読まれる。遠くから届く。すぐには返らない。待つ。読み返す。この時間の層が、感情を育てた。
十二、個人の声が遠くへ届いた
電子メールは、個人の声を遠くへ届ける道具でもあった。大企業の通信だけではない。留学生、旅行者、国際結婚の家族、海外にいる友人、趣味の仲間、研究者、起業家。個人が自分の言葉で、遠くの相手へ文章を送れることは、大きな変化だった。
手紙より速く、電話より落ち着いて書ける。個人にとって、これは大きな自由だった。英語で書く人もいれば、日本語で書く人もいる。短い連絡もあれば、長い近況報告もある。仕事の提案もあれば、家族への知らせもある。電子メールは、公私の境界をまたぐ媒体だった。
特に海外にいる人、日本に住む外国人、日本から海外へ挑戦する人にとって、電子メールは生活の支えだった。国際電話は高く、手紙は遅い。電子メールなら、日常の細かなことを伝えられる。今日あったこと、仕事の進み具合、家族の近況、思いついた考え。遠くにいる人と、日々の流れを共有できる。
電子メールは、個人を少し強くした。会社や制度を通さずに、直接相手へ書ける。海外の企業へ問い合わせる。新聞社へ意見を送る。大学の研究者へ連絡する。昔の友人を探す。個人が文章を送り、返事を受け取る。この直接性は、後のウェブ文化にもつながっていく。
十三、失われた受信箱
電子メールの歴史には、失われた受信箱の物語もある。古いサービスが終了する。パスワードを忘れる。保存していた機械が壊れる。会社のアドレスが消える。古いメールソフトが読めなくなる。恋文、仕事の記録、家族とのやり取り、初期の提案、約束、問い合わせ。多くのメールが、どこかで失われていった。
紙の手紙は、箱の中から見つかることがある。黄ばんだ封筒、古い切手、手書きの文字。電子メールは、開けなくなると中身が見えない。保存されているようで、実は脆い。データが残っていても、形式や環境が失われれば読めないことがある。
初期電子メールの記録が失われることは、個人史だけでなく、社会史の損失でもある。企業の初期交渉、新聞社とのやり取り、技術導入の説明、海外との連絡、初期利用者の声。これらは、公式文書には残りにくい現場の記憶である。電子メールは、歴史の下書きを大量に含んでいた。
だからこそ、電子メールの保存は重要である。すべてを残す必要はない。しかし、重要なやり取り、時代を示す記録、個人の人生に深く関わる言葉は、未来へ渡す方法を考える必要がある。電子メールは魔法のように届いたが、魔法のように消えることもある。
十四、迷惑メールの影
どんな通信手段も、広がるにつれて影を持つ。電子メールも例外ではなかった。最初は個人的で、仕事に便利で、国境を越える魔法のように感じられた受信箱に、やがて宣伝、不要な案内、怪しい誘導、迷惑な大量送信が入り込むようになった。
迷惑メールは、電子メールの信頼を傷つけた。知らない差出人、怪しい件名、不自然な文章、繰り返される宣伝。受信箱を開く喜びは、少しずつ仕分けの疲れへ変わっていった。これは、電子メールが日常化し、商業化し、大量化したことの副作用だった。
しかし、迷惑メールの存在によって、電子メールの本来の価値が消えるわけではない。むしろ、信頼できる差出人、明確な件名、丁寧な本文、必要な連絡の価値がよりはっきりした。雑音が増えるほど、礼儀あるメールは目立つ。
電子メール文化には、迷惑を避ける技術だけでなく、信頼を保つ文章の作法が必要になった。誰に送るのか。なぜ送るのか。相手は読む必要があるのか。電子メールの礼儀は、受信箱を守るための文化でもある。
十五、文章力を育てた道具
電子メールは、多くの人に文章を書く機会を増やした。短い連絡、長い説明、謝罪、依頼、提案、断り、確認、感謝。電話で済ませていたこと、紙の文書でしか行わなかったことが、メールの文章になった。人々は日常的に書くようになった。
メールを書く力は、単なる文法ではない。相手を想像する力である。相手は忙しいか。何を知っているか。どこまで説明すべきか。返事が必要か。感情的に見えないか。誤解されないか。残っても困らないか。電子メールは、送信前にこうしたことを考える訓練でもあった。
よいメールは、短くても冷たくない。丁寧でも長すぎない。要点が明確で、相手への配慮がある。これは簡単ではない。電子メールの普及は、社会全体に新しい文章力を求めた。話し言葉と公式文書のあいだにある、新しい実用文の文化が生まれた。
その意味で、電子メールは日本語のビジネス文章にも影響を与えた。紙の文書ほど重くなく、電話ほど即興ではない。敬語を使いながら、要点を伝える。相手の時間を尊重する。記録に残ることを意識する。メールは、現代の仕事の文章を形作った大きな媒体である。
電子メールは、社会全体に「書いて伝える」練習をさせた道具でした。
十六、受信箱を守るということ
現代の受信箱は騒がしい。仕事、宣伝、通知、確認、催促、登録、請求、案内。多くの人にとって、受信箱は喜びより負担に近い場所になった。しかし、電子メールの原点には静けさがあった。自分に宛てられた言葉が届く場所。相手の時間を尊重しながら、文章を交換する場所。必要な記録が残る場所。
もう一度、静かな受信箱を取り戻すことはできるだろうか。完全には難しいかもしれない。しかし、送る側の姿勢は変えられる。必要な相手にだけ送る。件名を明確にする。本文を整理する。不要な追伸や過剰な誘導を避ける。相手の時間を尊重する。読まなくてもよいものを送らない。
受け取る側も、自分の受信箱を守る必要がある。不要な通知を減らす。大切な相手を見失わない。保存すべきメールを整理する。すぐに返さなくてもよいものは、落ち着いて返す。電子メールは、即時反応の道具ではなくてもよい。
初期電子メールの魔法は、技術の新しさだけではなく、静けさの中にあった。受信箱を開く。誰かの言葉がある。読む。考える。返す。この単純な流れを、現代の騒がしさの中でも大切にしたい。
十七、人工知能時代のメール
これからの時代、電子メールはさらに変わる。文章の下書きを助ける道具、要約する道具、返信案を作る道具、重要なメールを選別する道具が増えていくだろう。長い受信箱を人間だけで処理する時代は、少しずつ変わる。これは便利である。
しかし、便利さの中で失ってはいけないものがある。電子メールの本質は、相手に宛てることにある。どれほど文章作成が自動化されても、誰に、なぜ、どのような気持ちで送るのかを決めるのは人間でなければならない。
機械が整えた文章でも、責任は送信者にある。メールは、単なる処理ではなく、関係の一部だからである。形式は整っていても、心がないメールはすぐにわかる。相手の事情を理解しているか。感謝が本物か。謝罪が誠実か。提案に責任があるか。こうした部分は、便利な下書きだけでは完成しない。
人工知能の時代だからこそ、初期電子メールの精神を思い出す意味がある。相手の時間を尊重すること。言葉を整えること。必要なことだけを送ること。届くことの重みを忘れないこと。道具がどれほど進んでも、電子メールは人間の手紙であり続けるべきだ。
十八、メールとホームページ
電子メールとホームページは、初期ウェブの中で互いに支え合っていた。ホームページには問い合わせ先としてメールアドレスが載る。メールの署名にはホームページの住所が入る。ページを読んだ人がメールを送る。メールを受け取った人がページを訪れる。メールは人を呼び、ホームページは詳しい情報を置いた。
この関係は、ウェブが場所であり、メールが手紙であることをよく示している。ホームページは訪問先である。電子メールは、そこから個別の会話へ進む道である。公開された情報と私的なやり取りが、自然につながっていた。
会社にとっても、個人にとっても、この組み合わせは重要だった。名刺にホームページとメールアドレスを載せる。ページで事業を説明し、メールで問い合わせを受ける。日記を読み、感想をメールで送る。初期ウェブの交流は、この二つの道具によって深まった。
現代では、問い合わせフォームや大きな交流空間が増えた。しかし、メールアドレスが持っていた直接性は今も価値がある。相手に宛てて書く。記録が残る。時間を置いて返せる。ホームページと電子メールの組み合わせは、今も人間的なウェブの基本である。
十九、電子メールが失ったもの
電子メールは広がるにつれて、いくつかのものを失った。最初の驚き、受信箱を開く楽しみ、ゆっくり返事を待つ余白、相手の時間を尊重する静けさ。日常化し、業務化し、大量化し、迷惑メールが増え、通知が増え、受信箱は忙しい作業場になった。
だが、失われたものは完全には消えていない。丁寧なメールを受け取るとうれしい。明確な件名は助かる。相手の事情を考えた文章は信頼を生む。不要なメールを送らない人は尊敬される。電子メールの本来の礼儀は、今も生きている。
電子メールが失ったものを取り戻すには、技術だけでは足りない。文化が必要である。相手の時間を奪わない。必要なことを明確にする。送る前に読み返す。返事を急がせすぎない。大切なメールを保存する。受信箱を雑音で埋めない。
初期電子メールの記憶は、現代のメール文化を見直す手がかりになる。電子メールは、ただ古い仕事道具ではない。画面の中の手紙として、まだ人間的な価値を持つことができる。
二十、届くという奇跡
電子メールが当たり前になった今、私たちは「届く」という奇跡を忘れがちである。文章を書く。送る。遠くの相手が読む。返事が来る。この単純な流れの中に、どれほど大きな変化があったかを、もう一度思い出す必要がある。
電子メールは、手紙の文化を消したのではない。手紙の精神を、別の速度へ移した。相手に宛てること。言葉を残すこと。返事を待つこと。遠くの人を想像すること。これらは、紙の手紙にも電子メールにも共通する。
日本の初期ウェブと電子メールの歴史を考えるとき、そこには単なる技術導入以上のものがある。国境を越える仕事。日本語で書く苦労。名刺に加わった新しい一行。受信箱を開く期待。海外から届く返事。会社の意思決定を速める文章。恋人や家族へ届く言葉。電子メールは、社会の表側と個人の心の両方を変えた。
かつて、青い画面の中に一通のメールが届いた。そこには、誰かの言葉があった。相手の時間があり、気持ちがあり、仕事があり、生活があった。その瞬間、コンピューターは冷たい機械ではなくなった。人間の声を運ぶものになった。
メールは魔法のように届いた。いまも本当は、そうである。ただ、私たちが慣れすぎただけだ。届くことの不思議を忘れなければ、電子メールはこれからも、騒がしい時代の中で静かな手紙であり続けることができる。
画面の中の手紙を、もう一度大切にする。
このページは、古い通信技術への郷愁ではありません。 電子メールが、手紙、電話、仕事、国際通信、恋、記録の間に作った 新しい距離を見つめ直すためのものです。
送る前に相手を思うこと。 届いた言葉を丁寧に読むこと。 返事を急がせず、しかし忘れないこと。 その小さな礼儀の中に、電子メールの魔法はまだ残っています。